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冠詞

冠詞は使わなくてもよい

Fundamenta Gramatiko de Esperanto(エスペラントの基本文法)

B. Reguloj (規則)

Artikolo nedifinita ne ekzistas; ekzistas nur artikolo difinita (la), egala por ĉiuj seksoj, kazoj kaj nombroj. Rimarko. La uzado de la artikolo estas tia sama, kiel en la aliaj lingvoj. La personoj, por kiuj la uzado de la artikolo prezentas malfacilaĵon, povas en la unua tempo tute ĝin ne uzi.

不定冠詞は存在しない。定冠詞 la があるのみで、どの性,格および数においても同じである。 註.冠詞の用法は他の言語と同様である。冠詞の使用が困難な人は初めのうちは一切用いなくても構わない。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/esp20.htm

エスペラントには不定冠詞(英語の a )はありません。定冠詞 la(英語の the )のみがあります。
エスペラントでは、冠詞の使用は強制ではありません。
定冠詞の使い方は日本人にとっては難しいものです。ですから、エスペラントでは、定冠詞の使い方に自信のない人は使わなくてもよいことになっています。*1

*1 [Ida註] : これは、いわゆる「16条の文法規則」に明記されていることだ。ところが多くの入門者が利用すると思われる学習サイトにこのことがちゃんと書かかれていなかったりする。これは良くないことだと思う。「未来の国際共通語」で、いんみ〜さんは、このことを最初に明記した上で、最も詳しく、また分かりやすく説明されている。このページをスクラップしたのはそのためだ。

ザメンホフは Ekzercaro の §27 にも、冠詞について以下のように書いている。

La personoj, kiuj ne komprenas la uzadon de la artikolo (ekzemple rusoj aŭ poloj, kiuj ne scias alian lingvon krom sia propra), , povas en la unua tempo tute ne uzi la artikolon, ĉar ĝi estas oportuna sed ne necesa.

冠詞の使用法を理解できない人(例えばロシア人やポーランド人で母国語以外の言葉を知らない人)は、始めのうち冠詞を全く使わなくてもよい。というのは冠詞は便利ではあるが必要ではないからである。

冠詞の使い方

http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/esp20.htm

定冠詞の使い方の難しさを理解してもらうために、日本語の助詞の「が」と「は」の使い分けの難しさで説明しましょう。

たとえば、次の文を見てください。

「昔、昔、ある所におじいさんとおばあさんがおりました。おじいさんは柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんが、洗濯をしていると、大きな桃が流れてきました。おばあさんはその桃を家にもってかえりました。」

この文の「が」と「は」を入れ替えてみましょう。

「昔、昔、ある所におじいさんとおばあさんはおりました。おじいさんが柴刈りに、おばあさんが川へ洗濯に行きました。おばあさんは、洗濯をしていると、大きな桃は流れてきました。おばあさんがその桃を家にもってかえりました。」

何か不自然な感じがします。しかし、なぜ不自然かを説明するのは、難しいです。日本人にとっては、この使い分けは、自然に身に付いているものなので、理屈では説明しにくいのです。

冠詞の使い方も、ヨーロッパ人にとっては、自然に身に付いていて、定冠詞を使うべき所に使っていなかったり、使ってはいけない所に使うと、不自然な感じがするのです。

間違った使い方をするよりは、使わない方がよいのです。冠詞が無くても読む側が補ってくれるからです。たとえば、上の例文を助詞なしで書いてみましょう。

「昔、昔、ある所におじいさんとおばあさんおりました。おじいさん柴刈りに、おばあさん川へ洗濯に行きました。おばあさん洗濯をしていると、大きな桃流れてきました。おばあさん、その桃を家にもってかえりました。」

間違った使い方をした文例よりは、不自然さはありません。

定冠詞は、話し手と聞き手の間で、話題にしている物について、既に共通認識がある場合、普通名詞に付けて、固有のものを表すとき使います。

  1. はなしの中で

    前に出てきたものだったり(「その」という意味)、
    会話している同士の間で、何のことなのか分かっていたり(「例の」という意味)
    目の前にあるもの(「この」という意味)に使われます。

    la hundo (その犬)

  2. 1以外で突然、定冠詞が出て来ると、それが唯一のものであることを指します。

    la suno 太陽

    太陽は世の中で一つ。

    Li estas la lernejestro en mia lernejo. 彼は私の学校の校長です。

    校長は私の学校に一人。もし、la がないと校長が何人かいて、そのうちの一人という意味になる。

    定冠詞の他にも、似たようなことが、人称代名詞の所有形にもみられます。たとえば、

    My friend came to see me yesterday.

    という英語の文は「昨日、私の友人が会いに来ました。」という意味ですが、英語を母国語とする人には、その人には友達が1人しかいないという不自然な感じがするそうです。日本人には分からないニュアンスです。何人かの友達のうちの一人が来たといいたいときは、

    A friend of mine came to see me yesterday.

    と言います。my friend は 定冠詞の用法に似ていて、はなしの中で前に出てきたり、会話している同士の間で、誰のことなのか分かっている場合に使われます。ですから、それ以外で突然 my friend と出てくると、the sun などと同じように1人しかいないように感じるのです。次の場合には、1人しかいないようには感じないようです。

    John came to see me yesterday. He is my friend.

定冠詞の使い方は上記に挙げた原則の通りなのですが、実際の文の中で、どの場合に当てはまるかは、いくつかの文例を通して慣れるしかありません。

[Ida註]
同格*1:例は同格ではなく、被修飾語-修飾語の関係である。(la monto Asama = la monto kiu nomiĝas Asama; la monto nomata Asama の省略形)。Mi vidas la monton Asama のように、格は同調しない。
la*2:引用元には無い。

http://plaza.harmonix.ne.jp/~sakat/72sakubun.htm

物語などの冒頭に La kastelo staris meze de la dezerto(その城は砂漠の真ん中に立ってた)のように,いきなり冠詞付きの名詞が出てくることがあります。これは「導入の定冠詞」と呼ばれる冠詞で,物語などを書くときの技法のひとつです。文法の問題ではありませんから,普通の文章を書く上では必要な知識ではありません。そういう表現に出会ったら「導入の定冠詞だな」と気づくように記憶の片隅に留めておくだけで十分です

いんみ〜さんが、桃太郎の話で「が」と「は」の使い方を誤った例を示して、結論として「(「が」も「は」も使わない文の方が)間違った使い方をした文例よりは、不自然さはありません。」と結んでおられるが、「導入の定冠詞」はまさに「が」と「は」の違いと大いに関係がありそうで面白い。

「ある国に城あった。その城砂漠の真ん中に立っていた」という表現は日本語として当然で正しく「が」と「は」を使い分けている。さて、これをエスペラントにすると、"En unu lando estis unu kastelo. La kastelo staris meze de la dezerto." となり見事に「が」と「は」の使い分けと一致する。

「導入の定冠詞」というのは「ある国に城あった。」を省略するときの表現で、このとき日本語では「は」を使い、Esperanto では冠詞を付ける、ということになる。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/esp20.htm

定冠詞が使えない場合

人称代名詞の所有形(mia 等)、指示詞(tiu 等)、ambaŭ と共に冠詞を使うことはできません。

la mia libro

とは言いません。

これらの単語と定冠詞は合わせて限定詞と呼ばれていて、固有のものを表すときに用います。my friend が限定的な意味を持つのは、my が限定詞であり、定冠詞の機能をあわせもつからです。限定的な意味を持たせたくないときは、英語では a friend of mine 、エスペラントでは、amiko el la miaj または unu el miaj amikoj と言います。

冠詞にはもともと、被限定語や被修飾語が省略されていることを暗示する使い方があると思われる。例えば、la japana 日本語、ĝis la 次の再会まで、la alia 残りの1つ、la ruĝa 赤いやつ...

ここで限定詞という用語が出てくるが、PMEG によると la、所有代名詞(代名詞所有形)、-u -a -es で終わる相関詞、ambaŭ、(unu) のことを言う。[参照]

名詞を限定する語には、広くは unua、lasta、alia などのある意味で指示詞的形容詞、(序)数詞 なども含まれそうだが、PMEG はこれらを限定詞として挙げていない。思うにその理由は、これらは la とともに使われるからだと思われる(la + 限定詞品詞 + 被限定語 の形で使われる)。つまり限定詞という限りは la と組み合わせない語を言うようだ。なぜなら冠詞とともに使うと限定しているのはあくまで la ということになるからであろう。

長たらしく書いたが、要するに la + 限定詞という形の表現での la のはたらきは、被限定語が省略されていることの暗示にあるのだと思われる。

少し余談っぽくなるが、ambaŭ は限定詞であるから、la ambaŭ 〜 という表現はないのであろうと思って Tekstaro を探して見たところ実に多くの例文が見られる。不思議に思って PMEG を読んでみたところ、どうやらこの場合の ambaŭ は単純に「2つの = du」という意味で使われているようである。ambaŭ には限定詞的使い方と「2つの」という数詞的使い方があるのだろうと思う。