1序

1.4 日本ルールの良さ

石の存在数を争う原始的な囲碁ルールから何故に“地”を中心とするルールが発生したかの理由を考察することは大変興味深いものがある。 ルールから云えば最も単純でかつ不合理性が無い原始囲碁ルールから何故に“地”を中心とするルールが発生したかの理由は重大である。それを考察することも本講の重要な目的の一つであるのだが私はそれを次の三点にあるものと考えたい。

  1. 途中に於ける形勢判断には“地”の概念の導入が極めて都合がよい
  2. 殆んど意味のない打着は極力これを避けて終局にする
  3. 偶数ダメの場合の手入れの問題の回避

1. は結果的な論議ではあるけれども“地”を中心にしたルールを使用した日本が、囲碁の技倆が最も進歩したことを論拠として挙げたい。勿論石の数と地とハマの合計は殆んど同じことではあるけれども、古代の中国に於いて、地とハマの合計という概念に到達したことは囲碁の技術を進歩させる極めて重要な動機になったものと云えよう。地の概念は直接的であって、石の存在数を争う原始囲碁ルールで打つ時でも重要な概念なのである。従って地の概念を直接ルールの中に導入したことは囲碁の発展の過程と考えることができる。

2. は原始囲碁ルールでも行なえないことではない。然し石の存在数が問題であるルールではダメがない。そのためダメを打ちきらなければならないが、これは双方が読切って合意すれば必ずしも打たずに終局の可能性はある。然し地のルールからはダメへの打着は一般に全く無意味となることが多い。これは実際的には重要なことである。日本式の地のルールは“ダメの美しさ”があると云われてきたけれども、勿論それは日本人の美的意識にマッチするとはいえ、それは不合理性を認める論拠にはなり得ない。然しそれは“無意味な打着は回避する”ことが可能なルールは実際的には非常に重要であると云うべきであろう。

3. は後で詳しく論ずることになるけれども、この点のみが原始囲碁ルールの欠点である。これは不合理であるのではないけれども「勝負」としてみた時の欠点であるが、“地”のルールはこれを最も完全に回避していることに注目すべきである。台湾式のルールも(3)の問題の回避のために作られたものであり、これを後に比較してみたい。

以上の様に“地”を中心にしたルールは優れた点が存在するのであって、それは原始囲碁ルールを発展せしめたものととらえることができるのであるけれども、逆にその行過ぎはルールの成文化を困難にしてしまったのである。