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よく使う単語の意味と使い方

自分用メモ

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koni, scii

koni と scii は「体験」か「知識」かという質的な違いとのことである。

koni は常に ~n という形で用いられる。

参照:
http://www.damp.tottori-u.ac.jp/~ooshida/esp/sakubun/noto0003_scii.html
http://plaza.harmonix.ne.jp/~sakat/72sakubun.htm

komenci, fini, cxesi, pauxzi, halti, dauxri

物事や動作の開始、終了、中断、継続などに関わる用語だが、使い方が結構むずかしかったりするようだ。

komenci, fini は他動詞で、何を始めたり終えたりするのかは komenci 〜n, fini〜n、 動作などの場合 komenci 〜adon, fini〜adon または komenci 〜i, fini〜i で表現できるようだ。

cxesi は自動詞で、〜が止む、〜の状態が続かなくなるという意味で、主語は 〜 に相当する内容の名詞形になる。

cxesi 〜i の形で動作を止めることを表すこともある。PIVに

という例文が載っている。この場合主語は止む内容ではなく、不定詞の主体になるはずである。

pauxzi も自動詞だが pauxzi 〜i という例文は PIVでもTekstaroでも見つからない。

halti は cxesi とよく区別がつかないが、動作・移動に関してのみ使うような印象だ。これも自動詞だが halti 〜i という表現も見つからない。

dauxrigi は普通 daurigi 〜 adon を使い、dauxrigi 〜 i は使わないようだが、PMEGには論理的には使って間違いないと書いてある。

Tradicie oni hezitas uzi daŭrigi + I-verbon. Tiu hezito estas senbaza. Daŭrigi iri = igi iradon daŭri. Komparu kun komenci iri = igi iradon komenciĝi. Se komenci povas esti uzata kun I-verba objekto, tiam ankaŭ daŭrigi povas esti tiel uzata.

伝統的に daŭrigi + 〜i (という表現)は躊躇される。しかしこれには根拠はない。Daŭrigi iri = igi iradon daŭri.である。komenci iri = igi iradon komenciĝi. と比較されたい。もしkomenci + 〜i を使うことができるなら、daŭrigi + 〜i も使えるはずである。

とにかく関連する意味の動詞が、自動詞だったり他動詞だったり不定詞句が使えたり使えなかったりで、エスペラントも結構むずかしいワ。

sama, simila, alia

sama のあとには 接続詞 kiel がくる、前置詞ではない。sama al, sama kunなどという言い方はしない。
形容詞 sama の前には,原則として冠詞 la か tiu, tia など何らかの限定詞が付く。ちなみに same も同様に tiel same となるが tiel はしばしば省略される。

sama は最上級の plej と同じで、特定のものを指し示す。そのため何らかの限定詞を伴うのが原則である。ただし副詞つまり方法や様態を固定的に限定することはできないこともあるので必ずしも tiel が必要というわけではない、という意味か。

simila は simila al 〜, simila je 〜のように使われるようである。

alia は alia 〜 ol のように使われるようである。alia を否定文で使うときは ol または krom を使うが、krom では必ず主格をとるとのこと。(なにげに?)
...ne scias alian lingvon krom sia propra (ol sian propran).

ol と krom で格の違いが生じるのは、前者は接続詞で、後者は前置詞だからであろう。ol 以外にも前置詞と紛らわしい(誤解しやすい)接続詞があるようだ。

Fundamenta Gramatiko de Esperanto
B-8 Ĉiuj prepozicioj per si mem postulas la nominativon.

と一応自分を納得させてみたが、しかし krom や anstataŭ などは、後に体格が来る使い方もあるのでややこしい。コチラにちょっとまとめてみた。

参照:
http://www.damp.tottori-u.ac.jp/~ooshida/esp/sakubun/sakubun-0108.html

pli ol, alia ol, antaux ol, malantaux ol

ol はなんだか前置詞のようだが実は接続詞で(難しい)、通常比較級に pli 〜 ol 〜 の形で使うことが多い。 しかし、alia 〜 ol 〜, antaux 〜 ol 〜, malantaux 〜 ol 〜 のような場合も使う。

参照:
http://www.damp.tottori-u.ac.jp/~ooshida/esp/sakubun/sakubun-0010.html

-ebl-, -ind-, -end-(接尾語)

ebl(〜できる、〜することが可能な)ind(〜すべき、〜する値打ちがある)end(必ず〜すべき、〜しなければならない)などは受身的な意味を持つので、他動詞の接尾語にはなっても自動詞の接尾語にはならないそうである。参照

legebla libro(読むことができる), leginda libro(読む価値のある), legenda libro(必読の) はすべて legi la libron の関係

この道は通れるを、

paseblea vojo

とは言えない。なぜなら pasi は自動詞だからだそうだ。参照。ところが irebla vojo とは言えるそうである。iri は、iri longan vojon とか irota vojo という表現がすでに慣用となっており他動詞的に使われるからだとのことである。PIVで iri は principe ntr : 原則として自動詞となっているとか。

しかし、PIV の pasi には trapasi と同義で、

... li pasis akvon k fajron k marĉojn k marojn(Z)

という例文もある。だったら pasebla でもよいような気もするが、その場合は「通り抜ける」のであって、「そこの一部を通る」だと、tra- の意味がなくなるのでやっぱりダメということなのか?

logxi は自動詞だが、dense loĝata urbo 「人口密度の高い都市」と受動分詞を使って言うことはありえるのだそうだ。こういう表現が可能だとしたらlogxebla urboも使えそうな気がしてくる。

話しがちょっとそれてしまうが、そもそも iri vojon とか pasi akvon というときの vojon や akvon が目的語か副詞かはっきりしない。エスペラントの目的格語尾は 1.目的語、2.方向、3.前置詞jeの代用、4.それ以外の慣用的表現もあって、あいまい過ぎるだろうと言いたくなる。

logxataという表現があることについて:
https://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/ro0805.html

per, pere de

per は手段、方法を表す前置詞だが、pere de という言い方もある。ただし微妙に意味が違うようだ。

PMEGには、pere = “nerekte, uzante interan rimedon(直接ではなく、仲介の手段を使って)”とあり、

Ni interparolis pere de interpretisto.

という例文が載っている。参照

de 〜によって、〜から

エスペラントで mia amata cxevaleto というと十八番(オハコ)という意味になる。直訳すると私の愛する仔馬ということになるが、文法的には馬は私に愛されているのだから受け身になる。

私は碁が趣味なのだが、ふと「自分が取った石」と「自分の取られた石」をどう区別して表現するのか分からなくなった。どちらも miaj rabitaj sxtonoj とか sxtonoj rabitaj de mi と言えそうだからだ。前者で意味を区別するのはむずかしそうだし、後者でも de は行為者の意味にもなるし、「〜から」の意味にもなるので区別できない。

そこで lernuのフォーラムで質問したところ

自分が取った石:sxtonoj rabitaj fare de mi
自分の取られた石:sxtonoj rabitaj disde mi

という教示をいただいた。「なるほどな〜」と感心したものだ。

ただ、disde はちょっと分散するニュアンスがあるので、for de mi ではどうか?などと考えてみたが PIV ではそのような例文が見つからなかった。

ちなみにこういう紛らわしことが起きるので fare de を far という前置詞に変えてしまえばいいじゃないかという考えもあるらしいが、16条の文法の6条に抵触するので(la prepozicio ĉe la pasivo estas de)、公認されてはいないようだ。

ところで、lernuフォーラムの質問コーナーはなかなかよい感じだ。フォーラム参加者同士で解決がつかない場合は、管理人っぽい立場の人が顔を出して助言しているようでもある。全くの初心者でもエスペラントで質問しなけばならないので、やや敷居が高い感じだが、少し分かって来ると質疑応答を読むこと自体が勉強になる。

informi, sciigi

2017/02

2つとも他動詞で「知らせる」と訳すことができる言葉だが、使い方は違うらしい。

informiは、

Bonvolu informi al mi la venontan kongreson.

とはいえず、

Bonvolu informi min pri la venonta kongreso.

となる。

sciigiは、

Mi devas sciigi vin pri malbona novaĵo.
Mi devas sciigi al vi malbonan novaĵon.

と、どちらの表現もできる。

動詞によって目的語が異なる「型」があるので注意が必要だそうである。上の例は、エスペラント日本語辞典を編纂された後藤斉氏が、このように「動詞型」を理解しやすいことを意図して編纂したといった内容を La Revuo Orientaに寄稿された文章に書いてある。

つまりこの辞書は動詞型を明確化する意味で、解説に ≪iun≫ のように使うとか ≪iun + pri io≫ あるいは ≪ion+al iu, iun + pri io≫ のように使うと明記してあるのが特徴だとのことである。

例えば他にも regali「おごる、ふるまう」は ≪iun + per io≫ の型を取るとか、senigi「なくす、奪う」は ≪iun(A) + je io(B)≫ Aから〜Bを奪うという形をとるといった具合である。

良い辞書そうで欲しいな〜と思うが、6000円は私にはチト高い。確か、この辞書の中から必須動詞を100個選んだ小辞典があったと思う。これぐらいは買わないとだめかな〜。

参照ページ:
https://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/ro0805.html

他にも意外な使い方をするものを今後ここにメモしていこう。

regali は 「おごる」「ふるまう」の意味で、regali iun per vespermanĝo のように使う。regali vespermanĝon al iu ではない。

provizi は貯蔵するという意味だが、「ワインを地下室に保存する」は provizi kelon je vinoj で provizi vinon en kelo とは言わない。provizi は 何かをそこに置いて(加えて・入れて)仕上げるといった意味でもあり、fenestrojn per vitroj (窓にガラスをはめる)というような使い方もする。

tusxi は日本語では普通「〜に触れる」という表現をするので「〜に」に相当する前置詞が必要なように思われるが、対格を使う。tusxi la arbon per manoj

temi

無主語文としても使われる特殊な動詞。

主語を伴うこともあるが自動詞なので、temi pri 〜 と前置詞を使うし、人が主語になるということもなさそうだ。つまり、Mia prelego temos pri Zamenhof とは言うが、Mi temos pri Zamenhof en la prelego. とは言えそうにない(自信はない)。

参照ページ:
http://bertilow.com/pmeg/gramatiko/verboj_frazroloj/sensubjektaj.html

sed, tamen, kvankam, malgraŭ

「〜だけれども」「しかしながら」「〜にもかかわらず」といった似た意味だが微妙な違いはあまり理解できていない。一応品詞の違いを確認。

sed : 接続詞
tamen : 副詞
kvankam : 接続詞
malgraŭ : 前置詞 ekz. malgraŭ (tio) ke

preferi

preferi は比較対象と較べてより好意をもつことを意味するようだ(AよりBを好む )。Reta vortaro に "Doni favoron al io sekve de komparo kun io alia." とある。また、比較対象には前置詞 al または 接続詞 ol を使うが、al は対象が名詞や代名詞に限られる。ol は不定詞などあらゆる表現に使えるとある。基本的に前置詞と接続詞の違いからくるのだろう。

Mi preferas kafon al teo. (前置詞の後なので主格?)
Mi preferas kafon ol teon.(接続詞なので対格?)
... preferi morti ol senhonoriĝi

比較対象が1つのことに限られないような場合などは、al や ol 以下の語句や節が省かれることもあるようだ。

la viroj preferas la blondulinojn

kofro, valizo

valizo は小さな kofro とPIVにある。kofro は Granda ŝlosebla kesto el ligno, ledo, metalo k.a., destinita enteni vestojn k aliajn aĵojn とあり, トランク、手提げ、旅行カバンで鍵つきのものということになる。valizo はMalgranda, manportebla kofro, kiu malfermiĝas en du partojn 手で持ち運びできる小さな kofro で2つの部分に開いて分けられる、とある。

こういうのは(ヨーロッパの?)それぞれの入れ物の名前を比較的そのままエスペラントに導入したのであろう。もっと細かい名前のついた入れ物があるのだろう。

右と左でさえ mal を付けて覚えなければならない単語を厳選して学習を容易にしたのに、こんなものがいちいち名前が違うんじゃ覚えきれない。

なかなか、おもしろい言い換え案があったのでメモメモ。

使用目的によって

旅行鞄=vojaĝ-valizo
お仕事用書類バッグ=oficist-valizo?

持ち方によって
ショルダーバッグ=ŝultr-valizo 
手提げバッグ=man-valizo
リュックサック=dors-valizo
ウエストポーチ=koks-valizo

素材によって
紙製=paper-valizo
かご素材=korb-valizo

などなど。ただし、基本単語が valizo がふさわしいのかどうかは私としてはよく分からない。sako と kesto ぐらいの区別は必要ではないか?。

良く使うモノの名前などは、できるだけ初心者でも分かるように、こういった平易な単語で言い換えができるように普段から気を付けておくべきだと知らされた。

priaŭdi

エスペラント的で、なんともスーッと入ってくる造語で気に入った。

Mi tiun ĉi neniam antaŭe priaŭdis, ĉu vi povas montri ekzemplon kara?
このことを私は今まで聞いたことがありません。例を示してもらえますか?

他にも oni .... priĵetis lin per ŝtonoj(Reĝoj 1, ĉapitro 21) 彼に石を投げつけた、という言い方もあるようだ。実際に石を投げつけたのかもしれないが、具体的な行為よりも排除するとか批難するとかという抽象的ニュアンスが強いのであろう。

senti, imagi

知覚に関する動詞を使って例えば Mi vidas la monton fumi. 山から煙が出ているのが見える。つまり 知覚動詞 + 目的語 + 不定詞 の言い方がある。ただ、いんみ〜さんの解説に、vidi, aŭdi はよいのだが、

feel ~が~するのを感じる -
英語の feel と違って、senti には senti -n -i という構文はない。
あえて表現したいときは分詞形容詞を使う。

とあった。本当にそうかどうか?論理的には可能なような気がした。そこで lernu.net の konsultejo で Mi sentis la koron bati repide. という表現は間違ってないか質問してみた。すると、アカデミー会員とおぼしき人から、ĝustas であるとの解答をいただいた。ちょっとスッキリした気分。

imagi は vidi、aŭdi、senti などの知覚動詞に近い意味を持つので、imagi 〜on 〜i という言い方があるようである。例文が見つからないのだが、一応メモしておくことにする。

Mi imgas lin forlasi min iam.
なんて言い方があるのだろうか?

移動を表す動詞 + 不定詞

Ŝi iris aĉeti veston al la urbo.
彼女は服を買いに街に行った。

のように 移動を表す動詞 + 不定詞 では、por という前置詞を使わないで移動の目的を表現する言い方がある。ただ、英語から入るエスペラントの入門講座には、

Mi venis c^i tien por vidi vin.(I came here to see you.)
のように, 移動を示す動詞の後に修飾語句が入ると, por -i の形が使われます。

という注意書きがある。ほんとうにそうなのか?こんな細かことを覚えておかなければいけないとは難儀だなと思っていた。そうしたところ Ekazercaro§17 で次のような例文を見つけた。

Vi devas nur iri al la fonto ĉerpi akvon...
あなたは泉に水を汲みにいけばいいのよ...

エスペラントの語順は比較的自由だが、修飾する語と修飾される語、説明する語と説明される語などを離して書くと意味が汲み取りにくいので、気を配らねばならない場面も出てくると思う。そのため 移動を表す動詞 + 不定詞 の間に何らかの語句が入ったときなどは por を付けた方が意味がはっきりする....という程度のことかなと思った。厳格にそうしなければならないというほどのものでもなさそうに思われるがどうだろう?

ambaŭ

ambaŭ は辞書によっては本来副詞とされていることがあるが、実は difinilo (決定詞(語)、限定詞(語))と呼ばれ、 "ĉiuj du", "la du kune kiel tutaĵo" に置き換えることができるようである。他の difinilo として PMEG には冠詞 la、-a や -u -es で終わる指示詞・相関詞、所有代名詞、ambaŭ、unu があるとされている。ĉi もそれに近い使い方をする。

ちなみに通常 la と、こういった difinilo を重ねるという言い方はしない、例えば la ambaŭ、la mia dorso などとは言わない。

話が ambaŭ からちょっと離れるが、いんみーさんの冠詞の説明ページにも上記の事柄について解説がある(人称代名詞の所有形(mia 等)、指示詞(tiu 等)、ambau^ と共に冠詞を使うことはできません。× la mia libro)。しかし、Fundamenta Gramatiko のフランス語版、エスペラント翻訳版の代名詞の所有格の例として、la viaj が挙げてある。これは所有代名詞がしばしば指示される内容が省略されるからそうなるのだろうか。しかし意味的に la とその他の difinilo を重ねる場面はあり得そうな気もする。

-uj, -ing

どちらも「入れ物」を表す接尾語だが、少し違いがあるようだ。"Lingvaj Respondoj" には次のように書かれている。

S-ro Fruictier klarigis al mi, ke, laŭ D-ro Zamenhof, ujo estas vazo aŭ kesto aŭ io simila, kiu entenas la tuton, kaj ingo entenas nur parton.
Fruictier 氏は、Zamenhof 博士によると ujo は容器・箱あるいはそれに似たもので、全体を中に入れて保持するものであり、ingo は部分のみ入れて保持するものであると説明した。

全体が納まってしまうものと、一部のみを覆う・差し込むなどの方法で納めるものの違いのようだ。

senigi, provizi, kredi, demandi

前にも出てきた「動詞型」に関係するのだろうが、日本語の「〜を」と「〜に」という表現が入れ替わったり、別の言い方をする動詞がある。他にもいろいろありそうだが、読書量が圧倒的に少ないので今のところこれぐらいしか知らない。教えていただけると嬉しいな

dank' al

これは 慣用的に使われている danke al を短縮した言い方だが、kontraŭfundamenta な記法だと思う。しかしなぜかこのことはあまり指摘されないようだ。たとえザメンホフが多用していた事実があったとしても、これを大ぴらに使うのは止めた方がよいという考えがあってもいいと思うのだがどうだろう。

ne devi, ne povi, ne voli

否定文がらみで、注意すること。

devi は「〜しなければならない」という意味なので、これの否定形 ne devi は「〜しなければならないということはない」つまり「〜しなくてもよい」という意味になるはずだが、 ザメンホフは devi ne と ne devi をどちらも「〜してはならない」の意味で使っているとのことである 。 [参照1][参照2]

Fundamento には 'ne devi' 'devi ne' ともに1回づつ使われている。

あるサイトではこれはエスペラントの例外事項と説明されている。しかし「〜しなくてもよい」はほぼ「〜する必要はない」「〜することができる」と置き換えて表現することができるので、ne bezonas、rajtas、permesate 〜i などで代替的な表現ができそうなので、こちらを使おうかと思っている。何も混乱を招くような表現が例外事項だからという理由で使われるのはあまり好ましいことではないと思う。

ne povi と povi ne、ne voli と voli ne は普通に解釈して問題ないようだ。

devus, povus, volus

仮定法の語尾 -us は仮定や不確実なことを表すときに使われるのが基本だが、丁寧・マイルドな表現のときにも使われるようだ。

エスペラントには should や ought to に相当する「〜すべきである」という意味の助動詞(動詞)がないのだが、devus がほぼこれに相当する表現になるのかもしれない。

また、devus, povus, volus は仮定ではなく実際に義務・可能性・意志があるのに実は行わないといった意味で使われることもあるとのことである。

apenaŭ, preskaŭ

apenaŭ は「辛うじて〜」と辞書には書いてある。「辛うじて」はなんとかかんとかして事を成し遂げる意味である。preskaŭ は辞書には「ほとんど」と書いてある。「ほとんど〜」は「辛うじて〜」と対比すると、ギリギリ事が成し遂げられないという意味である。 ところが PIV や PMEG の説明を読むとややこしいのである。

apenaŭ についてPMEGは、la vorteto apenaŭ (= “preskaŭ ne”) kalkuliĝas kiel nea vorto preskaŭ ne (助辞の apenaŭ は preskaŭ ne と同じで、否定語に数えられる)とある。PIV にはmontranta neplenan atingon aŭ nesufiĉecon kaj signifanta:1.(kun kvantovorto) «ne pli multe ol», «ne tute tiom»: 2.(ĉe verbo) «preskaŭ ne»: (不完全な到達あるいは不十分さを表す。また数量を示す単語とともにより大きく・多くない、完全にそれだけ大きく・多くはない、2.動詞とともに ne preskaŭ と同じ意味を表す)とある。

preskaŭ ne の方は少し横に置いておいて、じゃあいったい、下の写真で li apenaŭ super(salt)is la baron と言ったとき、この選手は結局のところ少々バーを揺らしたかもしれないが成功して飛び越えたのか?それともバーを落としてしまったのか?apenaŭ が否定語に数えられるというのであれば、失敗したことになりそうなのだが本当にそうなのか?もしそうだとすると成功した場合はどう表現するのか?

そこで lernu で上のことを質問してみた。 あるフィンランド人が「結果ははっきりしない」と言ったので、「そんな曖昧な表現なのはおかしくはないか?日本語にも似たような表現があるが、結果については誤解なく伝えることができる」というようなことを意見してみた。他の人も意見を出してくれ結論としては日本語の辞書のとおり li apenaŭ super(salt)is la baron. は彼はなんとかかんとか成功したという意味になるという結論になった。

そうなってみると apenaŭ が否定語であるという PMEG の説明は混乱させる表現のように思われる。実は今だにスッキリとはいってないのだが、動作や行為の結果を否定するのではなく、充分さや完全さを否定するということなのかと考えている。

逆に preskaŭ は li preskaŭ super(salt)is la baron は文法的には肯定文であるが、意味的には行為や動作が遂行できなかったことになる。preskaŭ ne (=apenaŭ) はその否定であるから文法的には否定文だが意味的には遂行できたことになる。preskaŭ は日本語では「ほとんど」が該当するが、preskaŭ ne は否定文であるからと、「ほとんど」を使って安易に「ほんんど飛んではいなかった」と直訳すると、否定を強調する意味に受け取られることもある。エスペラントでも例えば、

のように preskaŭ ne が「聞こえにくさ」を一見強調しているとも受け取れるので apenaŭ = preskaŭ ne のニュアンスが同じという説明に混乱させられた訳である。

ちなみにそのフィンファンド人もかなり混乱したようで、なかなか納得がいかなかったようだが、最後は35年間誤解していたことに気づいたというようなことを書いていた。

ĉiu, ĉiuj, iu ajn, ĉiu ajn

[未稿]

ĝis

ĝis は「〜まで」の意味でも使えるし「〜までに」の意味でも使える。これは一見前置詞の意味にあいまいさがあるのではないかと思わせるのだが、実は明確であって誤解を生じさせることはない。つまり実は ĝis を使う場面の動詞によって意味が代わるにすぎない。[未稿]

ankoraŭ, nur

ankoraŭ は日本語の「まだ〜」と訳せることも多いので、「まだ5時なので外は明るい」「まだ2ヶ月しか勉強していない」というように時間や期間についていうときもつい ankoraŭ を使ってしまいそうだ。この場合は、nur を使うのが正しいそうである。

*Ĉar nun ankoraŭ estas la 5-a horo, ekstere estas hele.*
Ĉar nun nur estas la 5-a horo, ekstere estas hele.

*Mi ankoraŭ ne lernis 2 monatojn.*
Mi lernis nur 2 monatojn.

ankoraŭ は 「~の状態が続いている」「更にもっと」という意味のときの「まだ〜」にしか使えない。[参照]

ankaŭ ne, nek

Mi ne bone dormis, kaj vi?

と尋ねられたとき、日本人は、

Ankaŭ mi ne dormis bone.

と答えそうである。これでも間違いではないのだろうが、否定形で「私もまた〜でない」というときは nek を使うほうが自然なようである。

Nek mi dormis bone.

igi, devigi, (al)trudi

「A が B に C をさせる」というような使役では、下のような表現が可能なようだ。

  1. La patro ludigas al ŝi pianon.
  2. La patro igas ŝin ludi pianon.
下のような表現もできそうだが、このような言い方はないようだ。(Tekstaro で検索結果に出なかった)

  1. *La patro igas al ŝi ludi pianon.*

つまり、接尾辞として -ig を使うときは行為の内容がそのまま直接目的語になり、動詞として igi を使うときや devigi は必ず人が目的語になるようだ。trudi や altrudi は (al)trudi al iu 〜 の形もあるようだ。これは以前出てきた動詞の型とも通じるので覚えるより仕方ないようだ。

peti

peti は「乞う」「請う」「頼む」という意味だが、意味的に3つ使い方があるようだ。1) だれかに何か物をくれるように頼むこと 2) だれかが何かをするように頼むこと 3) だれかが来るように要請すること。

依頼・要請された人に対しては目的語か前置詞 de を使う。日本語では「〜に」という助詞を使うので、安直に al iu ion, al iu 〜i, al iu ke〜 のような言い回しになりそうだが、そうではないので注意が必要なようだ。

  1. [...] ŝi petis de mi psalmlibron. 私に聖歌集をねだった
  2. Mi petas vin kredi, ke […] 〜を信じてください
  3. Petu lin al mi. 彼に私のところに来るように言ってくれ

これはメモです。分かっていないところも、いつかは整理しないといけないと思いつつ、そのままにしてあったりします。何を整理しないといけないのかまで忘れてしまうのでリストにしているだけの場合もあります

誤解しているところもあるかもしれません。気づいたことがあったらコチラにコメントいただけるとうれしいです